しただ塾

コミュニケーションにおける4つの伝達力と受け取り方

自分の考えや、気持ちを100%相手に伝えきることは難しい。
さらに、伝えたうえで理解され、受け入れてもらうことはより難しいはずだ。

これが同じような考えの人同士であればそれらは案外容易いことなのかもしれない。
あるいは食べ物の好き嫌い程度のことであれば伝えるのも容易だろうし、違った考え同士でも理解し、受け入れることが比較的簡単にできるだろう。

「私はみかんの甘さと酸っぱさのバランスを美味しく感じるので好きだ」

…という意見に対して同意も反対もあり得るだろうが、何を言っているのか意味不明で受け入れ態勢を作る段階まで行くことができないということは少ないはずだ。

しかしこれが人生観、恋愛観、政治的思想など複雑な事柄になってくると一段、二段と難しさが増していく。

人間の多くは自分を否定する人間をわざわざ近くに置きたがることはないと思うので、普段の生活では自分にとって居心地がいい人間を周りに置きがちになってしまう。

しかし今回のしただ塾というそれぞれの理由で集まった今まで縁も所縁もない不特定多数の人間たちと時間、場所を共有しなければならない状況では様々な意見交換を迫られる状況が出てくる。
普段であれば多少の食い違いもスルーしつつ、面倒であれば再び会うことを避け、いつも通り自分のお気に入りだけを取りそろえた居心地の良い環境を作り出せただろう。
だが3ヶ月間、ほぼ毎日同じ講義を受け、男性メンバーにおいては講義以外の時間もシェアハウスでの共同生活を過ごす必要がある中でそのような選択はできなかった。

このような重苦しい前振りをしておいてなんだが、今回私が出会えた塾生5人は非常に優しさに溢れ、尊敬でき、間違いなく素晴らしい人間性を持った人達だった。
これは塾生のみならず、しただ塾の運営に関わってくれた地域おこし協力隊や、講師の方々、シェアハウスの近隣住民、地元の小学生など、しただで出会った多くの人たちに言えることで、しただという地域の資源は人間だと思える出会いの連続だった。

だがそんな素晴らしい人たちとの間でさえ、意見の食い違いで争いが生まれることも、自分が良かれと思ってやったことが回り回って結果的に相手を傷つけることに繋がってしまうことも、起こり得るのだ。

そんな複雑な人間同士のコミュニケーションにおいて、気持ちを伝える側の伝達力と受け手の理解しようとする姿勢で結果は大きく変わってくるのではないかと私は考える。

ここで私個人が考える伝達力とは…

① 相手に伝わりやすく、相手が受け入れやすい言葉を選べる力
② 相手を威嚇しない喋り方ができる力
③ 相手の優しさに甘えて分かってもらった気にならない力
④ 自分自身に嘘をつかずに自分の考えをさらけ出す力

…だと思っている。

「言葉選び」と「喋り方」は説明せずともある程度分かっていただけると思うが、あとの二つに関して補足しておくと、これらはそう簡単にできることではないと思っていて、客観的に自分を見ることが必要になってくる。

③は空気を読まないといけない風潮の日本で起こりやすく、発言者の意見が反論の余地があるものであっても、その人の過去や現在の状況、場の雰囲気で言い返すことができない、言い返したとしても良い方向にいかないであろう場面が出てくることがある。
そんな時に発言者は勝ち誇ったり、自己満足で言い切った気になったり、それが受け取った側の優しさで生み出された状況に気づけずに、空気を読んで相手の傷つく部分を察してあげられる人の方が辛い目に合ってしまうことも少なくない気がしている。

④も意識的に自分の考えを隠す場合と、自分自身で自分の気持ちを知らぬうちに誤魔化してしまう場合があるので難しい部分だと思う。
ただお互いの気持ちを話し合うときに真の気持ちを打ち明けられないと、矛盾や齟齬が生まれ、理解してもらうことも難しくなってくる。
自分自身を本当に理解してもらうためには、時には恥ずかしくても自己をさらけ出しみっともない姿を晒さなければならないのだ。

そして受け取る側の姿勢は、やはり自分と違う意見を言われても拒絶するだけでなく、理解し、受け入れる体制を取ろうとすることが大事だと思う。
決して全ての意見を受け入れる必要はないが、最初からシャットダウンで聞く気のない人には伝える側もただの徒労に終わり、何の生産性もないコミュニケーションになってしまう。

さらには、お互いの言葉やものごとに対する解釈の確認も伝える側と聞く側、双方に必要なことなのだとしただ塾の講義内で学ばせてもらった。
双方の意見が食い違ったり、片方が望んだことにもう片方が応えられなかったりしたときは、お互いの認識していたものをそれぞれが勝手な思い込みや偏見で解釈していてズレが生じていないかを確認するべき時もあって、認識が間違ったままそれぞれの指標を頼りに相手に押し付けていたままでは、いつまで経っても話は噛み合わないだろう。
もちろん阿吽の呼吸でそんなことをいちいちせずに通じ合える場面もあるし、実際問題いちいち毎回話すことに関してお互いの認識を確かめ合うことをするのも違和感はあるし、個人的にもしたくはない。
ただその時の関係性に安心しきってしまい、思わぬ失言で相手を傷つけてしまうことがあるということも肝に銘じておくべきである。
それだけ人の心は繊細で複雑なのだ。

長々と誰もが分かっていて気付いていることを偉そうに語ってしまったかもしれない。
それにこれだけ頭で考えたところで、記事内で述べたことを自分自身が実践できているかと問われれば、全然できていない部分があるし、いくら話しても合わない人がいるのも事実で、無理をしてまでその人たちと関わる必要はないと今でも思っている。
ただ本当は分かり合えるはずの人達と、うまくコミュニケーションが取れずにせっかくの出会いを無駄にしてしまうことはしたくない。

このしただ塾で出会えた人たちは私にとってかけがえのない大切な存在で、様々なことに改めて気付かせてくれた。
何が見つかったか明確に言葉にするのは難しいが、確かに何かが見つかった塾生生活だった。