今も伝統を引き継ぐ山神社の氏子たち

(長野集落 しめ縄づくり)

【新しいしめ縄のかけられた山神社の鳥居】

前章

隣の南五百川集落に住む私は、長野(集落)の男は昔からけんか早く豪傑だと聞いてきた。かつては熊マタギも多かった。そんな男衆が、下田64集落の中で唯一しめ縄作りを継続している。敬意を表しこの記録を奉げたい。

下田のシンボル八木ヶ鼻の直下に構える旧下田村森町地区の村社である八木神社のしめ縄も3年前までは長野集落の輩が手伝っていたというが、村民の減少などにより現在では他の集落のように既製品を購入している。八木神社神主の石澤さんにお話を聞いた。『鎮守様の門前を飾るものとしては、自分たちで作ることが理想です。』

草鞋つくりからしめ縄つくりに精通する昭和一桁生まれの元桶職人、大竹至氏も昨年からしめ縄作りから身を引いているが、その伝統は確かに長野集落に引き継がれているのだ。今後の末永い伝承を願うばかりである。

本章

令和5年10月6日午後7時、夜の帳も落ち冷気が身に沁みる夕であった。

その夕は大山祇(おおやまつみ)大神(のおおかみ)を祀っている長野集落の中央付近にある山神社のしめ縄作りをお手伝いすることになっていた。山神社は狩猟や芝刈りに山へ行く前に祈願する社である。

我々地域おこし協力隊下田チームの6名が到着したときにはすでに20名を超える長野集落の男たちが集まり、その精魂を受け入れるかのように境内はまさに神聖な空気に包まれていた。

まず、藁の余計な屑の部分を取り去る藁すぐりが始まった。総勢30名もが一斉に藁をすぐるとたちまち藁の山が出来上がった。そこに誰かが火をつける。朱色の炎があがる。炎が藁を伝って周囲に広がるのを抑えるため、足で藁を中心部によせる。

それから社内と社外で作業を分業していった。

社内では本体のしめ縄づくりだ。

藁束の周りに縄を巻いていく。

藁が圧縮され大蛇の胴体のごとき太い縄に成っていく。その中心部が太くなるように藁の量を調節する。

それから三本の太い縄を綯っていく。

その端を折り返すと龍のごときしめ縄が完成する。

社外では境内に広げられたブルーシートに座り、ぼんぼりをこしらえていく。

大きなぼんぼりが3つ、小さなぼんぼりが6つ。

冬期は蔓籠つくりに励む手の器用な大竹ますえさんや、お体のご不調にも関わらず力を尽くす大竹進一さんなどが、記憶を辿りなんどか試しながら6つのぼんぼりを完成させた。

しめ縄を持ち上げ仕上げを行い、社外の鳥居まで運んで行くには男5,6人もの力がいる。皆の見守るなか、しめ縄が鳥居にかけられた。


小さなぼんぼりは、山神社の前の石仏群の中にある祠の前面にかけられている。八木神社の石澤神主によると、引っ越しなどの際に少しづつ行き場を失った石仏が集められたのだという。

【石祠他、青面金剛像、道祖神文字碑、双体道祖神、長野集落ができるまでの来歴が刻まれた珍しい石碑もある。(三条市市民部 生涯学習課 文化財係 下田郷のいしぶみパンフレット 森町地区より)】

令和6年春 NPOソーシャルファームさんじょう                    三条市地域おこし協力隊 下田チーム 五十嵐カンナ  

                     

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